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年末にフィギュアスケートのエキシビジョンショーが予定されており、
年明けすぐにも北欧で開催されるワールドツアーへの連戦の狭間、
それへ向けてのトレーニングにという合宿を張っていた、
横浜からお越しの芥川陣営と、ご当地のアイドル、中島敦ちゃん陣営だったが。
安寧な日々へのアクセントのようなもの、
不意打ちみたいに特攻かけてきた通りすがりのバイクの爆音に
鋭敏な聴覚をやられてしまい、
頭痛を伴うほどの衝撃を受け、へたり込んでしまった元 白虎のお嬢さん。
傍に居合わせた芥川と鏡花の二人で大急ぎで合宿所へ連れ帰り、
主治医の与謝野せんせいに診せたところ、
唐突に爆音を聞いたがためのショック症状のようなもの、
安静にしておれば落ち着くとのこと。
運動神経のみならず、目も良いし聴覚も鋭いスズランちゃんだったからこその思わぬ弱点なあたり、
曾ての異能だった“月下獣”と重なっているようで感慨深いことだねぇなどと。
現在も傍についている太宰と、
まさかお嬢様になっていようとは思わなんだが、
曾てを思い出した途端 “彼”をこそと捜し始めていた芥川とが語らっていたところ、
「?」
「どうかしたのかい?」
太宰の声がして我に返ったように顔を上げたお嬢さん。
敦を寝かせている医療室から出てきた鏡花が、
自身のだろう手荷物を懐に抱えるような格好で 少々怪訝そうな顔をして立っている。
先程の爆音襲来の場から引き揚げてきた折、
当然、自分のバッグも抱えて来た鏡花だったが、
学生鞄と一緒に持っていたレッスンバッグに異変を感じたらしく。
「覚えのないものが。」
一体いつ誰が放り込んだやら、
印鑑かリップクリームくらいしか入らなかろう、
上履き入れのミニチュアみたいな形とサイズの、
ファスナー式のミニポーチが
バッグの中に入っていたらしいと“ほら”と差し出して見せたのだった。
◇◇
幼いころから見ていた不思議な夢があった。
それはそれは波乱万丈で、ところどころが妙に生々しくもリアルで、
アメリカの長編ファンタジーによくあるみたいに、最初の方ではそれはひどく虐待されてたりして。
見始めた時期も幼かったため、いつも恫喝してくるおじさんがそりゃあ怖くて、
いわゆる“お嬢様”だったこともあり、問答無用で叩かれたり詰られたりするなんて
そんな非道な扱いなぞ されたことがなかったものだから無性に悲しくて。
母や姉やが飛んでくるほどの勢いで 毎日のようにギャン泣きして目覚めていた。
あまりに何度も見る夢だったので、
しまいにはすっかりと“ああこれっていつものあの夢だ”と判るようになり、
のちにそういう夢は“明晰夢”というらしいと知ったのだが、
ああこれって夢かと判れば妙に落ち着き、ドラマか映画みたいに やや傍観者ぽく眺めていられた。
主人公は自分で、夢の中ではどうやら男の子だったようで。
不思議な力を持つために親に捨てられ、怖い孤児院で大人たちから虐められ、
子供たちからさえ爪弾きにされていて友達もいない。
大きくなるともう面倒は見きれんと追い出され。
川を流れてきた人を救った縁で武装探偵社という務め先に拾われて、
そこがまた自分も持ってた異能という不思議な力がらみの荒事専門の探偵社であり、
日々様々な騒動に巻き込まれたり振り回されたり。
ヨコハマを舞台に大きな陰謀とか虐殺事件とか、
そりゃあ物騒で大きな騒動に巻き込まれちゃあ翻弄されて。
でも、頼もしい仲間とそういうことに関わってゆくうち、
腰が引けていた虎の少年は徐々に自信をつけてゆき。
反りは合わないけれどその力量も矜持も認めざるを得ない、
そんな相棒と出会って組むこととなって。
「最近になって、なんか曖昧なまま その夢見なくなっちゃったんですよね。」
「おや。」
それは見事なナイフ使い、
水ようかんでも扱うような手慣れた様子でリンゴを剥いていた中也が手を止める。
鏡花が自分の家へ此処への寄り道を電話しておくと言って一旦部屋から出てゆき、
それと入れ違うようにちょっとだけ眠っていた敦が目を覚ましたところ。
優しくて頼もしい姐様には、その“曾て”での縁もないではなく、
ちょっと及び腰だったのが転じて やや甘えた…なんていう
人柄のようなものも少なからず重なっておればこそ、
詳細まで言わずとも 中也ほど人付き合いも豊富で奥行き深い人物にはあっさりと察しもつくのだろう。
実際にはさして接点もなく、現今だってさほど蓄積もないはずの間柄でありながら、
まるで古い知己同士であるかのように支障なくお付き合いは出来ていたものの、
それでついついおざなりになってた“現在”の自分のあれこれ、
今回の発作のような反応に関係あるのかなぁなどと 語り始めていた敦だったが、
自身の“曾て”をそんな格好で知ったのだと連ねてから、
そういえば、皆さんと接してからは見てなかったなぁなんて
自分でも今気が付いたような口ぶりで呟く、元 白虎の少女であり。
「怖い夢ならついこの間も見たけれど、
目覚めたと同時どんどん曖昧になっちゃったし。」
「あの頃のことってのは怖いか、やっぱり。」
ほれ、と。
白い皿に赤い剥き残しの耳が映える兎リンゴを差し出せば、
“頂きます”と会釈をし、1つに刺されてあった楊枝を摘まんで持ち上げる。
陽当たりのいい医務室には、大窓から午後の日差しが差し入っていて、
寝台に直射せぬよう考えられているその配置により、
少し離れた陽だまりが、何だか夢の向こうの景色のように見えたのだろうか、
「芥川をテレビで見た折に、ああって。」
何かが頭の中でぱちりと噛み合って、あの夢に出て来た“相棒”ってこの人のことだって。
妙に納得がいったんですよね。
そうだからっていう なんか変な理屈が降って来て、逢わなきゃあって思いもしました。
その後は、フィギュア始めたり何やかんやにただただ走り回ってて、
それでうっかり今の今まで忘れていたものか。
思えばそれから見てないのかな?と。
そんな風に、自身のかつての思い出しようを語った白の少女だったのへ、
中也は陽だまりよりも彼女をこそ眩しいように見たものか、やや目を細めて見やっている。
「…そっか。」
前世の記憶は人によってまちまちで、
皆 その通りに なぞらにゃならんとまでは思ってないようながら、
それでも、ああ知り合いだったのかとか、こういう奴だったよなというよな、
前世の忘れ物的記憶が今の生にもついて来ている風ではあって。
例えば、まださして話もしていないのに、曾ては殺しの任務を指図されてた間柄だったというの、
芥川を前にして 朧気ながらも思い出していたらしい鏡花にしても、
それはそれだ、今という現実とつながってることではないと、冷静に判断している模様。
『それに…。』
さほど極悪非道ってこともなかったような…と、
そんな接点もあったらしいこと、思い出してるようで。
今はといえば、大好きな敦おねえちゃんを守ってくれているのならそれでいい、
お姉ちゃんに相応しい、カッコいいカレ氏でいてくれないなら
その時は改めて考えるという順番になっているのだとかで。
“何をどう考えるんだろう…。”
はてと小首を傾げた中也に視線を抛られ、
困ったように苦笑した敦嬢だったのは、
「考えるなんて言ってるけれど、鏡花ちゃんたら芥川と結託してるんですよ?」
今日だって、小姑みたいに口うるさいし練習ではすぐ手が出る乱暴者だしって抗議したらば、
それはボクが頼りないからとかどうとか、二人揃って言い返すんですよ?と、
相変わらずの抗議を持ち出す。だがだが、そこは中也とて同意見なところ。
手が出ると言ってもそれはトレーニング中のみに限られているのだし、
説教くさいのは敦が子供じみたうっかりを連発するからで。
あれでも気にかけておればこそで、
どうでもいい相手なら “せいぜい他所で恥をかけばいいのだ”と無視して良いよなことばかり。
そこのところをやんわりと指摘すると、そこはやはり意固地な性分ではないお嬢さんで、
道理は判るのか うううと口ごもり、うつむいてしまう。その上で、
「…こんなじゃ嫌われちゃいますか?」
それはイヤなのか、どうしようと思ったらしく、
起き上がって座っていた体勢の薄い背中を丸くしたまま、
中也の方を上目遣いで見やって来るから、
うわ可愛いじゃねぇか…とやはりやはり困ったような苦笑が洩れる姐様で。
「対等に扱ってほしいって気持ちは判るがな。」
彼らの噛みつき合いは、仔猫のじゃれ合いのようなものと判っちゃあいる。
誰よりも本人同士が言わずとも判っていよう、ある意味 なれ合いのような空気感もある。
けれど、そういう関係というのは、
察し合いという曖昧なつながりゆえに、案外と詰まらない齟齬で思わぬ破綻をすることもある。
何で言ってくれない、ちゃんとはっきりしといてくれてないのだと、
相手を責める方向に傾き出すと修復が難しい。
別に凶器マニアじゃあないし、かつてのようにそんなものもってる意味もなく。
単なる果物ナイフをリンゴの盛られてある籐籠に戻した中也は、
細い顎を引き、少々眇めるよな恰好で双眸をやんわりとたわめると、
「あんまりしつこいと面倒くさいなぁって煙たがられるぞ?」
すらりとした脚を組み替えながらといういかにもな動作に紛れさせ、
男女間の拗れにさも造詣がありげな言いようでの忠告をズバリと落とす。
すると、
「う…。」
痛いところではあったらしく、スズラン姫様、ぐっと言葉に詰まったようで。
覚えはないのか? そういうの。敬遠されてもいいんか?
それは…イヤかも。
もじもじ もにょもにょと口ごもるよな女は、中也も実はあんまり好かないタイプだが、
このお嬢ちゃんの場合、
実の姉ほども信頼し、凭れてよしとこちらを見込んでいてのことという
付帯条件があっての甘えだというのも痛いほど判るので。
突き放すのではなく、むしろ手を伸べる格好で
やや辛辣かも知れない言いようをしたまでなのであり。
「女ってのはッて俗な言いようで括る奴じゃあないとは思うけど、
アタシもそうだが、向こうは男でこっちは女だ。
むしろ向こうの方が戸惑ってるんじゃないのかな。」
そればっかは当人にだってどうしようもないことゆえに、女だてらになんて今更言うまい。
女のくせにと上から見ているわけでもなかろ。
どうしても改めないことへご立腹なら、そもそも実世界じゃあさして縁もないのだ見切ればいい。
それをしないで敦との距離もそのままでいるのは、今の敦へも憎からず思う彼奴だから…だと思う。
「ただ、女だってことへの、ジレンマみてぇのがあるんだろうな。」
「ジレンマ?」
そこは自身でも歯がゆいとかやれやれとか思うところなのか、
中也はため息交じりに頷くと、
「ちょっと極端だがな、
アタシも “自分が男だったら、そんで相手が女になってたらって置き換えてみれ”って言われて
やっと理解したことなんだけど。」
頼もしい性格とか、体術を使える身じゃああっても、かつてほど腕力も体力もなかろうし、
それ以前に、事情が通じてねぇ輩からすりゃあ
ちょいとひねりゃあ意のままになるとか そんな勝手を構えられて
卑怯千万な策を講じられて、襲われかねんとまで案じられているのかも知れぬ。
「え…?」
「まあ、これは極端な話だけどな。」
極端という言いようを繰り返しつつ、撥ねの多い自分の赤い髪をもさもさとまさぐった中也が、
ちょっとばかり目許をしかめて しょっぱそうな顔をしたのは。
自分で言ったように…なかなか理解が到達しないため
物凄く極端な、ドラマか小説かという設定を持って来て納得させられた身だったからなのだろう。
「いつもいつも傍には居られねぇんだ。
だから、自分がいないときどうすんだろうってそりゃあ心配してての裏返し。
しっかりしてくれよと切実に訴えたくての、説教じみたキツイ物言いってとこじゃないのかね。」
大切な相手なのに いつも居てやれない歯がゆさ。
か弱いというのは極端だが、大人たちに守られている敦は、だが、
例えば学校では? 移動のためのちょっとした外出先では?
幼い子供じゃないのだから、誰もついてない間合いだってあろう。
知名度が上がり、やや顔の差す身となった彼女が
そんな隙をつかれて何に遭遇するか判ったものじゃあないと思うと、落ち着けぬ芥川であるらしく。
“…まあ、ただの過保護とは思えない何かを隠してやがるようでもあるんだがな。”
今にして思えば、自分との縁つなぎに躍起だったからでもあろうが、
かつてはともかく現今ではさほど喧嘩だ格闘だなんてスキルなぞそうそう必要ではないはずなのに、
どうして柔術やらマーシャルアーツやらを身につけたがった彼なのか。
この子を守れるような身になっておきたかったからというのもあったのではなかろうか。
敦はどうなんだ?メールやラインですぐにも話せはするだろうが、
傍にあいつが居ない時はすっかり思い出さねぇのか?
……そんなことないです。
いつもたくさん人がいるし、やらなきゃいけないことも多いから、
ぼんやりしてる暇なんてあまりないけど、
何してるのかなって思うことは多々あって。
遅い時間だとメールも迷惑かなって寂しくなる。
「だから、たまに逢える時は優しくしてほしいって…
思っちゃいけないのかなぁって。あの…。///////」
言いながら真っ赤になって細い肩をすぼめてしまうのは、
さっきから何か恥ずかしいこと言ってると、今になって自覚したからだろう。
膝に掛けていた布団、持ち上げてお顔を埋め、隠すようにする幼子の愛らしさへ、
冷やかしては大人げないかなと にやにや笑うだけにとどめておれば、
「……アタシもそうだってのは?」
もしょりと言い返してきたのは、
先程の言い回しの中にあった一節で、中也にしてみれば口がすべったフレーズでもあり。
は?と玻璃玉みたいな双眸を見張ってから、頭の中にて何だっけと後戻りして…。
「…あ、ああいや、えっと。////////」
敦が芥川から案じられているのへの同類項であるかのように
ついつい並べてしまった“アタシもそうだが”という一言は、
果たして誰からの想い入れへの “アタシも”なのかといえば……。
「あー、まあこっちの話はいいんだ。」
「良くないです。もしかしてだざ…。」
「いいったらいいのっ。////////」
途端にわやわやと挙動不審になって、色白な頬から耳から真っ赤になる辺り。
いかにも年齢相応な含羞みようがまた
日頃の頼もしい姐御肌とのギャップがあって可愛らしいというか。
「中也さんたら、ハードもソフトも完備ってところですねvv」
「あーつーしー。////////」
つか、ハードとかソフトの使い方間違ってないか、それ。(苦笑)
◇◇
鏡花のレッスンバッグに紛れ込んでいたおもちゃのようなミニポーチ。
彼女と敦が通うそこは私立の中高一貫で、結構 校則が厳しい学園なので、
指定されていない私物は許可なく持ち込んではいけないらしく。
さほど汚れてもないが新品でもない代物で、小さい小物が好きな女学生にウケそうなものではある。
終業式まで学校には行かないというので、気味が悪いだろうから私が預かろうと、
太宰が受け取ったブツを、何てことなく手遊びの道具のようにクルクルと回しておれば、
「太宰さん?」
ロビーで手持ち無沙汰にしているように見えたのか、
通りかかった宮沢くんが、彼もまた学校の帰りだったか学生服のまま声をかけてくる。
彼も鏡花と同じ学園生で、帰ってゆく彼女と擦れ違いでもしたものか、
太宰の手元を見やると ああという顔になったから、ちらりと話をしでもしたのだろう。
「それって何なんでしょうかね。」
ウチの購買でも見たことありませんしと、鏡花と同様のことを言う。
高等部と共同の学生生協があって、お財布だとか裁縫セットという小物も置いてなくはないらしく、
だが、それならならで校章がでかでかとプリントされているらしい。
「うん。ただの取り違えならいいんだけれど。」
「はい?」
ふふーと笑った背高のっぽなスタッフチーフ様、
樹脂製の目の細かいファスナーをじじっと開けると、
中から小さな細い金属棒、
犬笛かレーザーポインター風の小物が付いたキーホルダーを取り出した。
「スマホや i-padに使う、ミニサイズのスタイラスペンみたいだけれど。」
小指ほどの長さのそれが 軽く引っ張れば1.5倍ほどに伸びるギミックになっているものの、
それ以外にはどうといって特長もない。
だというのに、太宰はその向こうに“何か”を既に見つけているらしく。
本当に不明だったらもうちょっと深刻そうな、若しくは怪訝そうな顔をしなと、
さっきも与謝野から“しょうがない奴だねぇ”と困り顔にて笑われたそうな。
to be continued.(18.12.14.〜)
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*平i沢進さんが 映画『パプリiカ』のテーマ曲として発表なさっている曲に
『白虎i野の娘』というのがあります。
実は前々からお気に入りで、敦くんの異能と何か語呂が合うのが妙に楽しいvv
それはともかく。
何てことないポーチだったはずが、何かありそうですが。
そしてそれをどうしてくれようかなんて
頭の中にてこねくり回しているらしい太宰さんですが。
長いお話になるのは困るなぁ。
集中力ないと繰り言まるけになるんですよね、年寄りは。

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